賃貸住宅の原状回復をめぐるトラブル相談は、国民生活センターに年間1万3,000件以上寄せられています(2024年度は13,277件)。その多くが「退去時に高額な修繕費を請求された」「敷金が返ってこない」という内容です。そして高額請求の入り口になりやすいのが、退去立会いの場での「とりあえずサイン」です。
結論を先に書きます。退去立会いで最も大事なのは、納得できない精算内容にその場でサインしないことです。私(みく)は2024年11月に港区の1LDKを退去しましたが、入居時の写真と国土交通省のガイドラインを準備していったおかげで、身に覚えのない汚れの請求を回避できました。本記事では、立会い当日に損をしないための注意点7つ、当日の流れ、費用負担の境界線、高額請求されたときの対処法までまとめて解説します。
退去立会いの注意点7つ
先に7つすべてを挙げます。どれも当日その場で効いてくるものです。
1. 納得できない内容にその場でサインしない
立会いの最後に、確認書類へのサインを求められます。修繕箇所と負担者が明記されていて納得できるなら問題ありませんが、金額が空欄のまま「あとで計算します」と言われた場合や、負担の根拠が曖昧な場合は保留してください。「内容を確認してから返答します」と伝えれば大丈夫です。サインは退去の儀式ではなく、合意の証拠になります。
2. 入居時の写真と賃貸借契約書を持参する
「この傷は入居時からあった」を証明できる唯一の武器が入居時の写真です。日付情報が残るスマホ写真で十分です。契約書には特約(ハウスクリーニング代の負担など)が書かれているので、当日その場で確認できるようにしておきましょう。
3. 荷物をすべて運び出し、掃除してから臨む
家具が残っていると壁や床の確認ができず、立会いのやり直しや「確認できなかった箇所は後日請求」につながります。掃除は普段どおりの水準で十分で、専門業者級のクリーニングまでは必要ありません。
4. 「通常損耗・経年変化は借主負担ではない」と知っておく
家具の設置跡や日焼けによるクロスの変色は、貸す側が負担するのが原則です。2020年4月施行の改正民法621条で、通常の使用による損耗と経年変化は原状回復義務に含まれないことが明文化されました。この一文を知っているだけで、立会いでの交渉力が大きく変わります。
5. 指摘された箇所はその場で一緒に確認する
担当者が指摘した傷や汚れは、必ず自分の目でも確認し、写真を撮っておきます。記憶にない傷なら「入居時からあったはずです」とその場で主張してください。あとから言っても通りにくくなります。
6. 口頭の説明は書面やメールに残す
「ここは請求しません」「クリーニング代は敷金内で収まります」といった口頭の説明は、担当者が変わると消えます。その場でメモを取り、可能なら「今の内容をメールでいただけますか」と一言添えましょう。
7. 鍵はスペアも含めてすべて返す
合鍵を作っていた場合も含めて全部返却します。返し忘れると鍵交換費用を請求される根拠になってしまうためです。
2024年11月、港区の1LDKの退去立会いで、洗面所のクロスの黒ずみを「張り替え対象です」と言われました。私は入居日に部屋中を撮った写真をタブレットに入れて持参していたので、その場で該当箇所を表示。「入居時からこの状態でした」と確認してもらい、請求対象から外れました。担当者の方も写真を見たら「そうですね」とあっさり納得。準備していなければ2万円前後を払っていたはずで、入居日の30分の撮影が一番のコスパでした。
退去立会い当日の流れと所要時間
立会いの所要時間は20〜40分程度が目安です(物件の広さによって変わります)。当日は次の5ステップで進みます。

①引越しの荷物をすべて運び出す → ②室内を掃除する → ③管理会社や大家さんと一緒に室内の傷・汚れをチェックする → ④修繕が必要な箇所と負担者を確認する → ⑤内容に納得したらサインして鍵を返却する、という順番です。
立会いは引越し当日に行う必要はありません。解約日までであれば後日に設定できるので、引越し作業でヘトヘトの状態を避けて、日を分けるのも有効です。午前に搬出、午後に立会いのように同日で組む場合は、搬出の遅れを見込んで2時間以上空けておくと安心です。
我が家の立会いは搬出翌日の午後で、かかった時間は25分でした。あえて夫と2人で参加したのは、指摘内容の聞き漏らしを防ぐためです。私が担当者と部屋を回って確認し、夫がメモと写真撮影に専念する分担にしたら、あとで「あれ、どっちの負担って言ってたっけ?」が一度も起きませんでした。1人で行くなら、スマホのボイスメモに録音しておくのがおすすめです。
費用負担の境界線|国交省ガイドラインの考え方
「どこまでが借主の負担か」には、国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」という公的な基準があります。考え方はシンプルで、普通に暮らしてできた損耗は貸主負担、わざと・うっかりでつけた損傷は借主負担です。
| 貸主負担(請求されない) | 借主負担(請求される) |
|---|---|
| 家具の設置による床・カーペットのへこみ | 引越し作業でつけた床の引っかき傷 |
| 日照によるクロス・畳の変色 | 結露を放置して拡大させた壁のカビ・シミ |
| 画鋲・ピンの穴(下地ボードの張替え不要な程度) | 釘・ネジの穴(下地ボードの張替えが必要な程度) |
| 冷蔵庫・テレビ裏の壁の電気ヤケ | タバコのヤニ汚れ・臭い |
| 設備の寿命による故障(経年劣化) | 飲み物をこぼして放置したカーペットのシミ |
さらに重要なのが耐用年数の考え方です。たとえば壁クロスの耐用年数は6年と設定されていて、6年経過すると残存価値は1円とみなされます。つまり長く住むほど、借主の負担割合は小さくなる仕組みです。仮に故意・過失でクロスを汚してしまっても、入居3年で退去するなら負担は新品価格の半分が目安になります。
敷金についても、2020年4月施行の改正民法622条の2で「部屋を返したあと、未払い賃料などを差し引いた残額を返還しなければならない」と明文化されました。敷金は「戻ってこないのが普通のお金」ではありません。
港区の部屋には2年半住みました。後日届いた精算書はハウスクリーニング代と浴室の鏡のウロコ取りで合計2万8,000円。契約書のクリーニング特約に金額が明記されていたこと、鏡のウロコは水垢の放置(=手入れ不足)にあたることをガイドラインのPDFと突き合わせて確認し、これは妥当と判断して支払いました。「全部拒否する」のではなく「根拠を確認して、妥当なら払う」が一番ストレスのない着地だと思います。敷金12万円との差額9万2,000円は約3週間で振り込まれました。
立会い前日までの準備と持ち物
立会いの勝負は当日ではなく、前日までの準備で決まります。持ち物は次の7点です。
| 持ち物 | 用途 |
|---|---|
| 賃貸借契約書 | 特約(クリーニング代など)の確認 |
| 入居時の写真 | 「元からあった傷」の証明 |
| 鍵一式(スペア含む) | 返却。返し忘れは鍵交換費用の請求根拠に |
| 印鑑・身分証明書 | 確認書類への押印・本人確認 |
| 筆記用具・メジャー | 指摘箇所のメモ・傷のサイズ記録 |
| 銀行口座のメモ | 敷金返還の振込先指定 |
| スマホ(充電済み) | 指摘箇所の撮影・録音 |
掃除については、すみずみまで完璧にする必要はありません。通常の清掃をしていれば借主の義務は果たしているというのがガイドラインの立場です。ただし、水回りの水垢やカビは「手入れ不足」として借主負担になりやすい箇所なので、退去前に重点的に落としておくと精算額が変わります。やるべき場所と手を抜いていい場所は、こちらの記事で整理しています。
退去の掃除はどこまで?やるべき場所と手を抜いていい場所を整理
2024年11月に今の東京西部の部屋へ入居した日、私は荷ほどきの前に部屋中の写真を92枚撮りました。壁の小さなへこみ、建具のスレ、フローリングの色ムラまで全部です。撮りながら気づいた傷は入居チェックシートに書き込み、管理会社にメールで送付して記録を残しました。翌日に控えた旧居の退去立会いに向けて入居時写真を整理していて、「入居日の記録こそ最大の武器」と痛感していた最中だったので、今回は「未来の退去日の自分への申し送り」のつもりで徹底しました。作業時間は30分。数年後にこの30分が数万円になって返ってくるはずです。
高額請求されたときの対処法
準備をしていても、相場から外れた請求が届くことはあります。慌てずに次の順番で動いてください。
まず、請求書の内訳を出してもらいます。「原状回復費用一式」のようなどんぶり勘定のままでは妥当性を判断できません。項目ごとの単価と数量を求めるのは正当な権利です。
次に、内訳をガイドラインと突き合わせます。通常損耗に当たる項目が含まれていないか、耐用年数(クロス6年など)が考慮されているかをチェックし、おかしい項目は「国交省のガイドラインではどうなっているか確認したい」と書面やメールで伝えます。このフレーズだけで請求が見直されるケースは少なくありません。
それでも折り合わない場合は、消費者ホットライン「188」に電話すると、最寄りの消費生活センターにつながり、無料で相談できます。原状回復トラブルの相談は年間1万3,000件以上あり、センター側も対応に慣れています。請求額が60万円以下なら、1日で判決まで進む少額訴訟という選択肢もあります。
すでに敷金を精算されてしまい「返ってこない」状態の場合の動き方は、こちらの記事で詳しく解説しています。
私は退去立会いの前日に、消費者ホットライン188をスマホの連絡先に登録しました。実際にかける事態にはなりませんでしたが、「もし変な請求をされても相談先がある」と思えるだけで、立会い中に萎縮せず質問できたのは大きかったです。フリーランスになって5年、仕事でも痛感していますが、交渉ごとは「逃げ道を確保している側」が冷静でいられます。
まとめ:立会いは「確認の場」であって「承諾の場」ではない
退去立会いは、言われるがままに頷く場ではなく、修繕の要否と負担者を対等に確認する場です。要点を振り返ります。
| 場面 | やること |
|---|---|
| 前日まで | 契約書の特約確認・入居時写真の用意・水回り掃除 |
| 当日 | 指摘箇所をその場で確認・写真とメモに残す |
| サイン時 | 金額空欄・納得できない内容なら保留する |
| 精算書到着後 | 内訳をガイドラインと突き合わせる |
| 折り合わないとき | 188(消費生活センター)→少額訴訟 |
次のアクションとしては、まず賃貸借契約書を引っ張り出して、クリーニング特約の有無と金額を今日のうちに確認してください。これから引越し予定の方は、新居の入居日に部屋中の写真を撮ることを忘れずに。退去はまだ先でも、立会いの勝敗は入居日に半分決まっています。
よくある質問
Q1. 退去立会いは本人がいないとダメ?
原則は本人の立会いをおすすめします。代理人や立会いなしの郵送精算に応じる管理会社もありますが、その場で反論する機会を失うため、高額請求への抵抗力が下がります。どうしても都合がつかない場合は、事前に室内の写真を撮って管理会社に送っておきましょう。
Q2. 立会いでサインしたら、もう請求に反論できない?
サインした書類の内容によります。「傷の位置を確認した」程度なら後から交渉の余地がありますが、「修繕費用の負担に合意する」という文言にサインすると争うのが難しくなります。だからこそ、金額が確定していない段階での包括的なサインは保留すべきです。
Q3. 敷金はいつ返ってくる?
法律上の明確な期限はありませんが、契約書に「明け渡し後○日以内」と記載があればそれに従います。一般的には退去後2週間〜1ヶ月程度が目安です。1ヶ月を過ぎても連絡がない場合は、書面で返還を請求しましょう。
Q4. 掃除はどこまでやってから立会いに臨むべき?
通常の掃除で十分です。ガイドライン上、借主に求められるのは「通常の清掃」であり、専門業者レベルのクリーニングは義務ではありません。ただし水回りの水垢・カビは手入れ不足と判断されやすいので、退去前に重点的に落としておくのが得策です。
Q5. 耐用年数を過ぎた設備なら、壊しても払わなくていい?
そうとは限りません。耐用年数を過ぎたクロスなどは残存価値1円とみなされますが、故意・過失で壊した場合、張替えの工事費・人件費は借主負担になることがあります。「古いから何をしてもいい」わけではない点に注意してください。